2025-05-11 22:11:59
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
Comments (0)
苦しみのなかで耐えに耐え、じりじり前進していく大阪から帰京し、さ、たったひと晩、1回切りのゲラ直しです




▼きのう5月10日土曜の午後6時まえ、出張先の大阪のホテルの一室で、烈しい睡魔と珍しく頭痛を伴う疲労と戦いつつ、新刊『憤怒と祈りで建国だ』の全文を、粗々ながら脱稿し、版元の扶桑社へ送りました。
自分で言うのも何ですが、奇蹟としか思えません。
公務と、公務関連の仕事の一切に何も影響を与えていないのです。
本1冊を、ここまで短時間で書き上げたのも、作家として初めてです。
そのあと公務に戻り、3時間とすこし眠りました。
わたしは本来はロングスリーパーなのでまったく足りません。しかし、この頃では、最長最善の睡眠です。
▼ホテルであってもいつもと同じ、熱湯に近い朝風呂で全身を甦らせました。
そして、きょう5月11日・日曜の朝に、大阪市内の大阪府連へ入りました。
先日、参議院のベテラン議員に「大阪府連会長、ドロドロのなかで、ご苦労さま」と声を掛けられました。
これは今、いろいろな国会議員に、毎日のように掛けられる言葉です。
しかしこの議員はさらに、「大阪府連ってね、古いビルの一室なんだって ? びっくりだよね。どこでも自民党の府県連はさ、小さくとも自社ビルだよね。それがおおきな大阪府連が、ビルの一室なんてね」と仰いました。
わたしは「そうですよ。府連会長室もありません」と答えました。
しかし、むしろ、それが良いと思っています。
贅沢がまったく無くて、いいじゃないですか。
大阪は、衆院選で30連敗中で、夏の参院選も議席を獲得できる見通しがまだ無くて公認候補を決めるのに四苦八苦しています。それでいて贅沢だけがあるのでは、主権者のみなさんにも天にも申し訳が立ちませぬ。
ちなみに、大阪府連会長は完全に無報酬、さらにわたしの場合は交通費も宿泊費も1円も受け取っていません。
▼きょうの日曜も、わたしが府連会長になる前の週末にあったすべて、身体の鍛練も、リラックスも、原稿執筆も、講演も、何もかも犠牲にしたまま、その大阪府連に入りました。
まずは執行部会です。
いつも通りに、開始時刻よりずっと早く入りました。ほとんどの場合、いちばん乗りです。
夏の参院選をめぐって深い議論をし、その他の幾つものややこしい難題、先代や先々代の会長から持ち越している問題もじっくり、精神の力をフルに使って、前進させました。
次に、役員連絡会です。
それが冒頭4枚の写真です。
夏の参院選について、苦悩のなかで新しい段階を開いたことを語り、疑問や批判や非難もすべて受け止め、同時にただの1ミリもぶれずに終えました。
次に記者会見です。
これまで府連会長は定期的な会見を開いていませんでした。
記者からは辛い質問が多く出るからかも知れません。
不肖わたしは、オールドメディアとわたしが名付けた、固定観念と既得権益でこちこちのメディアであっても、記者の問いのひとつひとつに誠を尽くして応えるべきだと考えています。
だから、会見を定例化しています。なにも避けませぬ。淡々と遂行していきます

▼会見が始まりました。
わたしは記者会見の全容をそのまま、ありのままに大阪府連のホームページにアップするよう、事務方にお願いしています。
都合の良いところだけじゃない、会見のすべても、主権者のみなさんには大切な情報だと考えるからです。
したがって今日の記者会見も、いずれアップされるはずです。

▼記者の質問はすべて、真剣に聴きます。
そして答えるべきはすべて、答えます。
▼いつも通り、記者の質問が絶えるまで、すなわち途中での打ち切りはせずに、記者会見を完遂しました。
あとで川村香奈枝・公設第一秘書が「あ、産経が報道しています」と教えてくれました。ヤフー・ニュースにもなっているそうです。
▼会見のあと、鹿田総務会長 ( 大阪府議/写真右 ) 、府連職員、それに川村秘書と、大阪のうどん屋さんで昼食を摂りました。
こういう時、必ず声を掛けられるのも大阪の特徴です。
東京だと、あ、青山の野郎だというお顔をなさっても、なかなか声は掛けてこられません。
ちなみに、きょう、うどん屋さんで声を掛けてきた男性は、道路に出てからわたしを写真に収めておられました。そのとき、わたしは「生醤油かけうどん」を注文しているところでした。わはは。
▼うどんを食べると府連に戻り、衆院選について、ある元代議士の怒りに満ちたお話をじっくり聴き、申すべきを申しました。
▼そこから空港へ。
伊丹空港で、川村秘書と一緒にストレス解消のために、おやつを、おたがいにびっくりするぐらいたくさん、食べちゃいました。
わたしの生まれた神戸は、洋菓子の街でもあります。
お酒も灘の生一本が美味しくて大好きですが、シュークリーム、エクレア、洋菓子も好き好きで育ちました。
ただし今日は、空港にあったミニ羊羹とかクッキーとか、ちいさいのを、てんこ盛りで食べました。
三浦麻未・公設政策秘書とか青山千春・東京海洋大学教官がそこに居たら、きっと呆れたでしょう。ぎゃはは。
しかし、それですっきり、ストレスが解消しました。
▼機内に入ると、ゆうべから考えていた、新刊『憤怒と祈りで建国だ』に追加する原稿を、一気に書いていきました。
ストレスが解消したおかげです。
羽田に到着するまえに、書き上げてしまって、推敲も終えて、なんと機内Wi-Fiを使って、扶桑社の編集者、山口洋子さんに送っちゃいました。
快調です。
山口さんからは、狂喜するがごとくのメッセージが返ってきました。
かなり、うれしかった。
▼羽田から自宅に戻ると、その山口さんが待っていてくれました。
そして・・・『憤怒と祈りで建国だ』のゲラを渡されましたぁ !
多くの作家が、このゲラ直しが嫌いらしいです。
しかし、ぼくは好きなのです。
荒く彫った彫刻に、きめ細やかな鑿(ノミ)を入れていくような愉しさがあります。
山口さんがゲラを渡してくれながら、すこし心配顔で「まだ誤植が幾つもあるんです」と仰り、そして「実はページ数が予定より増えてしまいました」と仰るのです。
今回の『憤怒と祈りで建国だ』は、緊急出版どころか、火急出版です。火急出版とは、今回つくったわたしの造語です。
ですから、400字詰め原稿用紙で200枚に絞り、この物価高でもひとりでも多くの人が手にできるように、定価を1400円ほどに抑えることになっています。
しかし原稿は、229枚を書き上げて送り、しかも機中で書いた追加原稿もあります。
わたしは『あ~、なんとか許容範囲かなと思って230枚ぐらい書いてしまったけど、定価が上がってしまうのかな』と心配になり、「値段、上がるんですか」と聞きました。
すると山口さんは笑顔に変わって、「いえ、なんとか予定の定価で行けるよう、社内で交渉します」と仰ってくださいました。
扶桑社、凄いです。
▼で、明日までにゲラ直しを終えねばなりません。
ゲラ直しというのは、作家にとって、いちばん緊張せねばならない作業です。
なぜなら、原稿は粗々でも、まだゲラで直せます。
しかしゲラ直しというのは、それが終わればもうそのまま、読者の手元に行くのです。
したがってゲラ直しは、わたしの場合はふつう3回、時間が無いときでも2回は確保し、それぞれ1週間は最低、時間をもらいます。
専業作家ならまだしも、わたしは、いつだって兼業作家です。
以前は独立総合研究所の代表取締役社長・兼・首席研究員の仕事、今は国会議員の公務と、並行してやらねばなりません。
したがって深夜と未明にしか出来ないので、ある程度の日数が必要です。その深夜と未明も実際は公務の関連の仕事が食い込むことが多いですから。
ところが今回は、ゲラ直しはただの1回だけ。
しかも、たったひと晩です。
作家として、こんな困難に直面するとは、思ってもみませんでした。
みなさん、できましたら、ここで予約してくださいませんか。
予約だけが、わたしの、今夜も苦しい夜を支えます。
今のところ、予約は少ないです。
あれだけ完成度を高めた『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』が4刷で止まってしまっている悪夢を思い出します。
いまの日本社会において「政治家の書いた本なんて」という偏見に打ち克つことは、絶望的と言えるほど、難しい。
しかし、わたしは万やむを得ず国会議員にはなっていますが、旧来の政治家にはまったくなっていません。
どなたか、ひとりでもふたりでも、この偏見を超えて、『憤怒と祈りで建国だ』を手にしてくださればと、静かに、願っています。
