On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2025-05-14 00:17:10
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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2万人が戦った硫黄島で、いまだ1万人が行方不明のまま、一体どこにいらっしゃるのか、その謎が解ける


( 立ち入り禁止の壁を越えて初めて硫黄島に入った、その帰路、空がこんなにも紅く染まりました )

▼硫黄島は、東京23区から南へ1250キロの太平洋上に浮かぶ、東京都小笠原村の島です。
 先の大戦末期、アメリカ軍はこの島へ大軍で上陸してきました。
 硫黄島を占領して、日本本土を無差別爆撃して妊婦も子供も非戦闘員の国民を大量に殺害する拠点にしようとしたのです。

 その爆撃をすこしでも遅らせて、後世のまだ見ぬわたしたちを護ろうと硫黄島で戦ったのが、2万人の、働き盛り世代を中心にしたふつうの日本国民です。
 職業軍人は1千人ほどに過ぎませんでした。

 そして2万人が殺されました。
 うち実に1万人が行方不明のままで、敗戦から80年を経てなお、謎が解けていませんでした。

▼今月のはじめ、わたしは米国ハワイ州真珠湾のDPAA ( 国防総省戦争捕虜・行方不明者調査局 ) を訪ね、研究部長にして篤実なお人柄のジョン・バード博士 ( Dr. John Byrd, Laboratory Director ) と長時間、通訳を挟まず米語で直に議論し、重大な真実が分かりました。

 これまでまったく語られていなかった新事実です。

 これを機に、多くの英霊が見つかって故郷へ帰れる可能性が初めて出てきました。
 この新しい動画で語っています。
 主権者がこの事実を知っていただくことが、英霊帰還の新しい第一歩です。どうかひとりでも多く視ていただけるよう、伏してお願いします。

▼火急出版の新刊『憤怒と祈りで建国だ』は、心身を極限も超えてすり減らし、期限内の「責了」、責任校了を実現しました。
 印刷が始まっています。
 ここで予約してくださったかた、これから予約なさるかたに、無事に届きます。





 
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