2026-10-18 21:11:46
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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こういう生き方を続けます


▼これは10月14日水曜日午後のことです。
先の大戦で、尼崎市もおよそ3300人の犠牲者を出しました。
その御霊を弔うために「尼崎市戦没者追悼式」が開かれました。
なぜこの時期に、しかも平日の昼間に開かれるのか、それは分かりません。
しかし、ぼくは衆院兵庫8区 ( 尼崎市 ) の33年ぶりの自由民主党代議士であり、また、どなたも兵庫8区では比例復活しなかったから、唯一の代議士でもあります。
その立場から、戦没者をちゃんと弔う責任があります。
そこで、この平日の追悼式に参列するために、国会開会中の日程を懸命に調整しました。三浦麻未・公設政策秘書、うっちーこと宇都宮祥一郎・公設第一秘書、入間川和美・公設第二秘書・・・私設秘書がひとりも居ないぼくには、秘書さんはこの公設の3人しか居ませんが、みんな深く理解し、日程調整に協力し努力してくれました。
参列しても、献花をして、頭を下げるだけです。
それでも、御霊にまごころを捧げることはできます。
▼写真にうつっているのは、ほとんどが地元の地方議員のかたがたや市役所などの関係者で、ご遺族はもはや、極めて数が少ないのです。
敗戦によって終戦を迎えてから、もう81年です。
敗戦のとき10歳の少年が91歳です。
ご遺族がとても少ないのは事前に分かっていました。
したがって、遺族会の票を狙っての参列ではありませぬ。
▼それが水曜日です。
土曜と日曜には、ふたたび衆院兵庫8区 ( 尼崎市 ) に入りました。
尼崎市のありのままの姿は、庶民の連帯がびっくりするぐらい強いのです。
お祭りがほんとうに多くて、それも幼い子から車椅子のお年寄りまで、どの世代も楽しそうに、かつ凜々しい装束で参加しています。
全国の少子化が嘘のように、子供もとっても多いのです。
きょう10月18日・日曜の早朝、尼崎の数ある神社のひとつ、塚口神社に向けて歩いていると、ゆうべ土曜に前夜祭でお酒も出て盛り上がっていた街頭を通りました。
そこが見事に清掃され、整理され、まるで何も無かったかのような清潔さであることに驚きました。
わたしは総選挙中の約束を実行して、東京から尼崎市に住民票を移し、運転免許証もマイナカードも住所変更をしました。
そして、市内各地域の結束を固める、神社の神事に、積極的に参列しています。
なぜか。
尼崎市のたいへんに数多い神社の神事は全て、33年のあいだ、自由民主党の代議士が居なかったために、神社にとっては不本意な情況もあったとのことです。それを回復するためです。
先日、ある神社で神事に参列し、そのあとの直会 ( なおらい ) であいさつをしていたら、隣で宮司さんが男泣きに泣かれているのです。
「宮司にとって屈辱の33年がようやく終わったという実感が、青山代議士のあいさつを聴いていてこみ上げてきたんやろな」と、ある氏子 ( うじこ ) が仰いました。
そういうわけで、わたし自身も塚口神社の氏子となりました。
この日曜の早い朝、塚口神社の神事に参加したあと、地元の若手市議、大谷勘介さんが、お祭りの責任者に「青山代議士は、水曜に、尼崎市戦没者追悼式に参列するためだけに尼崎に入って、とんぼ返りで東京の国会に戻ったんですよ。献花の2分間のために、凄いと思う」と話していました。
大谷市議は、とても謙虚な人柄です。
その大谷さんの言葉ですから、お祭りの責任者は共感する表情でした。
「尼崎モデルで日本を良くする」という、ぼくのスローガンは、躰にどんなに負担になっても東京と尼崎を平然と行き来することが不可欠です。
▼たとえば10月15日木曜は、アリベルティ次期駐日EU大使と会う、議員外交の現場に参加しました。
いつものように英語で直に議論しました。
▼同じ15日木曜の、沖縄県での遺骨収集を議論する場です。
▼10月16日金曜の早朝には、自由民主党の海洋開発特別委員会で、専門家として徹底的に政府の課題を問いました。
終了後、中谷元・元防衛大臣が「よかったですね。政府から出たので、言いたいこと、言うべきことを言えてね」と仰いました。
この海洋特委の議論は、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の次の収録でやりたいなと考えています。
「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の最新放送のひとつはこれ、簗農相の問題は、辞めて終わりじゃありません。
そして、もうひとつはこれです。 ロシアの不当な記者拘束を糾弾しています。
★ところで、久々のサイン会の場所と開始時間が決まりました。
場所:ブックファースト尼崎店
日時:11/22(日)13:00より
また詳しいことが決まれば、お知らせします。












